彼は、私の光でした。

タイトルは大好きな「コード・ブルー ドクターヘリ緊急救命 2nd season〈第5話〉」からの引用です。私が一番好きな役である冴島はるか(比嘉愛未)の恋人・悟志が亡くなり、お別れの会で冴島が言った言葉です。

 

8月26日、大谷怜爾くんが事務所を退所していたことが分かった。

 

 

2016年1月7日、怜爾くんが初めてツアーバックにつき、初めての地方でのお仕事だったラキセ横浜公演でファンサをもらい大谷担になりました。

 

私は学生という身分だから金銭面でも遠征面でも満足に現場に入れず、次に怜爾くんに会えたのはほぼ1年後の2017年1月4日。

 

初めて持つ「怜爾」と書かれたウチワ。今まで数え切れない程ウチワを持ってきたけれど、あんなに緊張したのは初めてだったように思います。

申し込んだ公演すべて当選し、ありがたいことに3回もウチワを見つけて指をさしてくれました。コンサート事務局さん、いつも「振り込み期限近すぎる!」とか「当たんない!」とか言ってごめん。その節は当選させてくれて本当にありがとうございました。

 

私は横浜公演しか入らない予定でいたので、次会えるのは来年のツアーかな?あ、でも頑張れば松竹座入れるかも?なんて思ってました。

 

でも福井公演から不在が続き、心に一瞬「退所」の文字がよぎった。何様かよって思うけど、自分は怜爾くんを待ち続けたいと思った。いなくなってしまった手前、まだアイドルであることを信じることは難しかったけれど、いつか戻ってきたときに一番に「おかえり」と言えるファンでありたかった。

 

正直、今まで関西jrの誰かが退所するのは嫌というほど見てきた。残念ながら松竹座で泣くとかそういう場面には立ち会っていないが、それでも「辞めちゃったんだ」くらいだった。所詮他人だから。

 

でも、サキさんのブログを読んで、大泣きした。彼はいつの間にか私の大切な人になっていた。

 

今振り返ると、本当に「なうぇすと」に入れて良かったと思います。ちょっと無理したけれど、それでも彼の最後のステージを見守ることが出来て幸せでした。

 

私が怜爾くんにもらった最後のファンサは、アンコール終わり私がもつ「怜爾」と書かれたウチワを見つけ手を振りながらお辞儀をしてくれたことでした。

 

もっとお仕事してる姿を見たかった。
・とれたて関ジュース
産経新聞 ごっつええやん
・ジャニーズweb かんじゅ日誌
・Myojo
・福福大吉いおとわせーで単独公演 など
廉くんとのvivid見たかったよ!なにせお互いに尊先がツインタワーなんだもん。

 

でもこれだけ嬉しいこともありました。

ドリステで銀幕デビュー。がっつり映ることはなかったけれど、エンドロールで名前が出たのが嬉しかった。

まいジャニで喋らせてもらった。初めて怜爾くんの声を聴けました。新春SPでは応援団長まで務めて、いっぱいTVに映って嬉しかった。

雑誌掲載。それまでは立ち読みで済ませていたのも、たとえ1ページしか、その中で端っこにしか載っていなくても買ってアンケート書くようになった。

少クラin大阪。今年は名前テロップなかったのが悔しいけれど、相変わらずシャツが飛び出ててすぐに見つかりました。

私がファンになってから初めてのまいジャニSHOW TIME。たった4回だったけど、何回も見返しています。ノイナで抜かれてめちゃくちゃ騒いだのもいい思い出です。

産経新聞での写真出演。真鳥くんがなうぇすとメンバーを載せてくれて本当に救われました。写真自体1月のものだけど、生きてることが分かって安心した。

そして2回目の映画。前回よりもはっきり映る黄色い衣装。まだ画面の中で会えるのがどれだけ嬉しいか。

 

この記事を書いただけじゃ、けじめなんて付かないけど。でもいつまでも引き摺るわけにはいかないから。

 関ジュの秀才キャラ。賢いからきっと高校で見切りをつけるだろうと思っていたけれど、いざいなくなると寂しいものです。

 

 

大谷怜爾くん。

1年7か月、私の光になってくれてありがとう。

10代の青春時代をジャニーズとして過ごしてくれてありがとう。

あなたがアイドルだったから、私はあなたを応援することが出来ました。

あなたが生きるこれからの人生に幸せが降り注ぎますように。

大好きでした。